東京パフォーマンスドールとはなんだったのか Part1 「基礎知識編」


※ この記事はnoteに掲載したものを再掲載しています

東京パフォーマンスドール

'90年5月、レコード会社EPIC/SONYが企画立ち上げしたアイドルグループ。「ゴルビーズ」名義でCDデビューし同年6月にはライブハウス「原宿RUIDO」にてMCなしの「ダンスサミット」と呼称される歌と踊りをノンストップで披露するライブを定期的に展開していきます。

結成してからしばらくはTVなどのメディアへの露出はせずにライブを中心に活動を続けていました。

1stアルバムは「初代東京パフォーマンスドール」のメンバーによって収録された楽曲でありますが、一般的に知られている「東京パフォーマンスドール」のメンバー構成による楽曲が収録されているのは2ndアルバム以降です。

中村龍史 (総合プロデュース)

劇団四季の役者を経て多数の歌手・タレントのコンサート・ステージ等における演出を手掛ける演出家。

1984年-1995年の松任谷由実のステージ演出を担当。 1990年から東京パフォーマンスドールのダンスサミット演出総指揮として手腕を発揮。

2001年からはマッスルミュージカルの構成・振り付け・演出などを手掛けていましたが2020年にお亡くなりになっています。

アイドル冬の時代において東京パフォーマンスドールが取ったアプローチ

「おニャン子クラブ」が解散した80年代末期はアイドル歌手にとって非常に厳しい時代、いわゆる「アイドル冬の時代」と呼ばれています。

Wink、工藤静香、中山美穂など順調に活躍していたアイドルもいたのですが、新人アイドルにとってはかつてないほどにシビアな状況だったように思います。

そんな中、東京パフォーマンスドールが取った活動が原宿RUIDOというライブハウスで毎週末、定期的に「ダンスサミット」を開催し口コミで評判を拡散していこうというスタンス。

1990-1995年にかけてリリースされたシングル+アルバム
 (ソニー・マガジンズ / TPD in the CASEより)

当時のEPIC/SONYは渡辺美里・TMNをはじめドリカムがミリオンセラーを連発し経済的にかなり余裕があったため東京パフォーマンスドールは「社運が一切かかってない」状態でフリーダムな活動ができる環境にありました。

ダンスサミット開催当初は最低観客動員8名(そのほとんどがメンバーの親族)という時期があったものの次第に観客が増えていき、基本的には原宿RUIDOで公演を続けながら'91年には原宿クエストホール・日本青年館、'92年には東京厚生年金会館・渋谷公会堂、'93年には日本武道館2DAYS、'94年には横浜アリーナ1日2公演を開催できるまでに躍進します。

CDのセールスも'92年の4月にリリースされたシングル「夢を」で東京パフォーマンスドール名義として初めてオリコンチャートにランクインします。(73位 / 0.5万枚)

またパフォーマンスドール卒業後だと思われている方も多いのではないかと思うのですが、篠原涼子の「恋しさと せつなさと 心強さと」とEAST END×YURIの「DA.YO.NE」はいずれもパフォーマンスドール在籍時にリリースされたものです。

最終的に「恋しさと~」はダブルミリオン、「DA.YO.NE」はミリオンセラーを達成しています。

東京パフォーマンスドールの音楽性

主導しているEPIC/SONYが「アイドル」を手掛けた経緯がほとんどなかったため、それまでのアイドルのセオリーを踏襲していないことが挙げられます。(過去に所属していたアイドルは元おニャン子クラブの渡辺満里奈、元C.C.ガールズの藤原理恵。'91年には乙女塾からQlairがデビューしている。)

音楽プロデュースを担当した清水彰彦氏をはじめ、もともと洋楽を担当していた方が多かったためその影響がかなり大きく反映されています。

制作クリエイターには後にJuliana's TokyoなどのコンピCDのMIXなどを手掛けることとなるリミックスチーム「MST」のタシロタカヒロ氏ががっつり関わっていることで単なるアイドルが歌うダンスミュージックとは一線を画した編曲が施されており、特に初期の楽曲ではその傾向が顕著に感じられます。

その他の特徴としては

  • 徹底的な打ち込みサウンド
  • ダンスサミットの構成を意識したアルバムの曲順・パート割りや構成
  • メンバーの立ち位置がイメージできるようなボーカル定位 (ステレオのRLへの割り振り)
  • 意外な曲をハウス・ユーロビートアレンジ (由紀さおり「手紙」、ヘドバとダビデ「ナオミの夢」など)
  • ダンスコンピCDのような曲間のないノンストップ収録

東京パフォーマンスドールが残した功績

今のアイドルグループでは当たり前となっているシステムが東京パフォーマンスドールで初めて採用されたものが実は結構あるのです。

  • 固定ライブ会場での定期公演
  • 一人で復数のグループ内ユニットを掛け持ち
  • ライブ内で公開オーディションを行い観客が審査投票
  • 大阪・上海(中国)に姉妹グループを結成
  • 同日にフロントメンバー7名によるソロアルバム('93)・ソロシングル('94)を発売し、セールスチャートとしてランキングが発表される実質的な総選挙
  • レコード会社主導のためメンバーの所属事務所が異なっていた
    • (80年代にもおニャン子クラブからソロでデビューしたメンバーはそれぞれ事務所・レコード会社がバラバラであったという前例はあります)
  • 「手振り」のみの振り付けではなくステップを踏んだ団体でのダンスパフォーマンス
  • フロントメンバーとライブメンバーという「一軍」「二軍」に明確にチームを分けている

近年、80年代・90年代に活動していた過去のアイドルが「再評価」されることが多いのですが、東京パフォーマンスドールにおいてはほとんど取り上げられることがありません。

CDのセールス的にシングルでは最高34位、アルバムでは最高13位と結果を出せなかったのも大きな要因だと思いますが、それにしても過小評価されているのではないかと個人的に感じています。

2013年には完全新メンバーによる「新生・東京パフォーマンスドール」が始動したり

2017年にはEAST END × YURIとしてブレイクした市井由理がヒップホップグループとコラボしたり

近年シティポップが世界的にブームになっていてその流れで角松敏生がプロデュースした東京パフォーマンスドールの米光美保の作品がアナログ化されたり '22年の大晦日には東京パフォーマンスドール出身の篠原涼子が紅白歌合戦に出場したり '23年に藤井隆とKAKKO(鈴木杏樹)のコラボで穴井夕子が'91年にカバーした「We Should Be Dancing」がリメイクされたり (下記事インタビュー内で穴井夕子がカバーするにあたっての訳詞を担当したことが触れられてます)

とまぁ、もう少し大きく取り上げられても良さそうな気はするのですが、大半は"元"東京パフォーマンスドールという肩書を申し訳程度に付け加えてる程度の紹介に留まっています

東京パフォーマンスドールに興味を持ったとしても膨大な作品数があるためどこから聴いたらよいのかわからないという方もいるかも知れないのでそういった「はじめて」の方向けのおすすめなども次回以降ご紹介できる記事を掲載していきたいと思います。